風が吹いている ♫

 

長谷川俊雄+Aさん

 

苦しいとき、辛いとき、自分に風が吹いていないと感じられることがあります。他者に風が吹いているのに、自分にはなぜ風が吹いていないのかと嫉妬心や孤立感や猜疑心を持つこともあります。「風が吹いている」ことがテーマの対話を振り返ることにします。

 

Aさんからメールが届きました。何通かやりとりするなかで、次のようなメールが届きました。

 

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病気になってから、何もかもが変わってしまったような気がします。

それは、私以外のもの、私の周りばかりでなく、私自身が以前の私ではないように感じられます。

 

名前が変わったわけでもなく、身長も、体重も、顔立ちも何も変わっていないのに…。

でも、私を取り巻くすべてが変わったように感じられて、私は私からも取り残されたような、そんな感じがしています。きっと、主治医に話したら病気の症状と説明するでしょうね。でも、症状で説明されても納得がいきません。私は本当にそういうふうに感じているのですから…。

 

こういう感じ方、おかしいですか?

以前の私でさえ、私は好きでなかったのに。もっと、私のことを私は嫌いになっています。生きている意味や価値など、私にありますか?

 

病気を手にして、すべてを失うように感じています。

病気を手にして、本当に悔しいです。

なぜ私が病気にならなければいけなかったのですか?

 

私、何か悪いこと、しましたか?

私、何もしていないのに…。

私、そういう運命の下に生まれてきたのですか?

 

人生にいいことなんてないように感じています。

まだ21歳。平均寿命から引き算したら、あと60年以上も生きなければならないなんて。

苦しいだけの、辛いだけの人生が待っているだけです。

それでも生きなければいけないのですか?

生きることは義務なのですか?

生きることは苦しむことなのですか?

あと60年間、こんな気持ちを抱えて生きて、その先に何が待っているのですか?

 

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 Aさんのメールになんと返信してよいのかとても悩みました。

 横浜の小さな研修会で「“他者の人生を所有すること”から私を解き放つ」のテーマで語る機会を思い出して、Aさんを招待させていただきました。講演で参加者へ伝えたいメッセージをAさんへも伝えたかったのです。母親と最前列で聞いてくださいました。終了後に声をかけました。きっと来てくれる予感がして、CDとメッセージカードをプレゼントさせていただきました。

 少し時間を置いてメールが届きました。

 

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講演を最前列で聞いていました。夢中になって聞いていました。

「自分を好きになる・今を好きになる」ところを話されているとき、私の気持ちが溶けていく感じがしました。そうできたなら、きっと誰かが、私のさわやかさに惹かれて近づいてくるかもしれないと話されたときにハッとしました。

私、こんな自分を理解してくれる人が登場するはずがないと決めつけていました。

誰かが…ではなくて、私が「変わる」。難しいけれど…。

 

私自身が病気を手にした自分を認めてあげなければ、誰も私のことを認めてくれないかもしれない。自己否定している私の周りに、誰かが近づいて来たりするわけないですよね。

私が明るく、以前とは違っていても、今の私なりに歩むとき、誰かが理解してくれることもあるのかもしれませんね。でも、難しいなぁ-。

 

講演会のあとでいただいたプレゼント、どうもありがとうございます!

予想もしていなかったから驚きました。とてもうれしかったのです!

帰宅してから何度も聞きました。

ひょっとしたら、こんな私にも「風が吹いている」と思えるときが来るかもしれないと感じました。いいえ、今、すでに私に「風が吹いている」のに、私が感じられていないだけかもしれません。私に向かって「風が吹いている」…。そう感じられたら、私、変われるかもしれない。

私、変わりたい!病気を手にしても自信を持てる、誇ることができる私になりたいです。

 

部屋から、輝いている満月が見えます。

私もいつか輝けるかな…

 

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 ぼくはとても励まされました。Aさんの感受性と内省する姿勢に感動しました。

事実は変わらない。残酷なほどに変わらない。しかし、その事実の解釈は変えることができます。その変化を生み出すためには他者のまなざしがどうしても必要になると言えないでしょうか。多面的に見ることで、考えることで、自分の見方や立ち位置が変わる。

 そう「風が吹いている」と感じられる!

 

 

♬ 風が吹いている  僕はここで生きていく

晴れわたる空に 誰かが叫んだ

ここに明日はある  ここに希望はある

君と笑えたら  夢をつなぎあえたなら

信じあえるだろう 想いあえるだろう

この時代を 僕らを この瞬間(とき)を♬

 

――いきものがかり「風が吹いている」

 

 

 ※ Aさんに「風の出口」の原稿に登場していただけないかと提案させていただきました。何回かメールで意見交換しながらまとめました。Aさんはみなさんへ「あなたにも風が吹いている」とメッセージを届けたかったのだとぼくは感じています。

Aさん、どうもありがとうございます!

 

 

 

 

 

 

 

思記

 Rina  

 

悩みがないことが悩みですって、嘘をつけるくらいの余裕が欲しかった。嘘でよかったのに、それでも悩みに悩む日々の中で余裕なんて持てやしなかった。

 

嘘でもいいから優しくされたい。そんなことを思っていた頃もあった。本当の優しさに触れたときのあの気持ちを知った今では、嘘でもいいからなんて到底言えなくなった。

 

何もかも諦めればもっと生きやすくなる。そんな考えが巡って諦めることに必死になっていた。何もないと思っていた自分にも、どうしても諦めきれぬことがあった。諦めきれぬことは、諦めきれぬと諦めた。それだけでよかった。

 

泣き喚いたことも幾度となくあった。誰かが見つけ出してくれるわけもなく、ひとりを痛いほど実感するだけ。漠然とした孤独感に襲われる夜もあった。まるで世界中で自分がひとりぼっちみたいなあの感覚は、恐怖さえ覚えた。

 

生きていてわからないことだらけだった。唯一わかっていたことは、自分は幸せにはなれないんだってこと。そんな悟ったようなことを思っていたこともあった。だけど、幸せなんて自分の心次第だった。

 

ノートに殴り書きで置いてあった言葉を、ひとつひとつ拾い上げてみた。だけど、あの頃とまったく同じ温度の気持ちにはならなかった。それらは確かに私が感じてきたものなのに。あの頃の気持ちには戻れないことに寂しくなりながらも、それでも、自分の中で気付いてきたこと、そして築いてきたことを実感した。

 

拾い上げた言葉を、またひとつひとつノートに戻した。あの頃の気持ちを思い出して感じた今の気持ちも、またあの頃となっていく。きっとその度に私はそのノートを読み返し、実感するんだろう。生きているということを。

 

 

 

 

 

 

 

私にとってのつながるcaféって

 

 

厚生労働省の社会福祉推進事業「地域共生を目指すひきこもりの居場所づくりの調査研究」として、調査員の池上正樹さんと上田理香さんが来てくださいました。お二人をお迎えして「つながる語らい場」をひらきました。

 

caféがなかった時は、社会とつながっていなくて、caféという「行く場所」ができたから、社会とつながっている感じがします。

 

「居場所」には、つながりがある。人が集まるとき、ある人にとっては心地がよくても、別の人にとってはストレスということもあるから、一人一人にとって、楽しみや喜びの感じられる場所であってほしいな。

 

caféは私にとって、私らしくいられる場所です。

いつもは自分のことを否定的にみてしまいがちだけれど、ここでは「いい自分」でいられる。「自然体でいられる」という意味で、いい自分なんです。

 

僕は67年通って来ています。初めの頃は、通うことが修行であり訓練でした。ありがたい場所です。もしcaféがなかったなら自分はどうなっていたのだろうと思うくらいの大事な場所です。

 

自分は、弱っていてしんどい時期にcaféに出会って回復することができた。caféは弱っている自分を受け入れてくれた。

 

自分は怠けていると思えて、自己嫌悪で憂鬱になるときがある。そんな気持ちでcaféに来ると、皆が優しい。モヤモヤした気分から解放されて元気になれる。

 

私の好きなラーメン屋に行くと、ホッとして涙が流れる。そこでは、とりつくろわない自分がいる。自分がいてもいいって思える。排除されない、引け目を感じなくていい、失敗してもいい、そう思える。そのラーメン屋では、定位置にティッシュが置いてある。ティッシュに安心感がある。

 愛想のない店員さんがいる。気づかわれることはないけれど、美味しい料理を出してくれる。居たいように居させてくれる。caféはそんな場所なのかな、と感じた。

 

居場所を求める気持ち、それは根源的なものだ。

 僕にとって、学校は居場所ではなかった。小学校と中学校ではしゃべれなかった。存在をかくしていた。誰ともつながりがなかった。そのときこういう場所があれば、違った生き方になったかもしれない。

僕にとっての居場所は、居る「場所」ではなくて、居る「人」「相手」です。どこの場所に居ようとも、その人とつながっているという気がしている。辛かったり、しんどかったりする思いを、誰にうちあけていいかわからないときがある。レスポンスを返してくれる、そういう人と出会うことが、自分の居場所と思っている。

 

私も同じ。周囲と交流をもたず、家族とのつながりも断っていた。誰もわかってくれないと思っていた。心の揺れ、感情のブレが大きかった。身を持て余していた。

そんな時、少し信頼できる人たちができて、自分に軸ができた。悪い方にぶれることがなくなった。

 ホッとできて心に余裕ができると、自分が思っていることを言葉で表現してもいいのかな、と思えるようになる。自分も何かのお役に立てているのかな、という自己肯定感のようなものが生まれてくる。

 

心の奥底の気持ちを言葉にしていく作業には、勇気と労力がいる。気持ちを分かち合える相手でないと、やっていけることではないから。

 

自分の家の居心地がいいという人もいるけれど、僕は家には居場所がない感じで落ち着かない。ピリピリした空気があって休まらない。いつもアンテナをピンとたてていて疲れてしまう。

 caféでは、楽しいな、リラックスするな、という時間がある。身体を休めることができる。

 

僕は、これまで出たお話と違う方向からも考えています。caféは、居心地がいいだけの場かというと、そうではない。辛いことや大変なことのあった方が、それを乗り越えることで栄養になり、成長につながっている。居心地がいいだけでは、社会に出ていけない。居心地のいい面と苦しい面をふくめて、caféだと思う。

 

このままじゃダメだと思って、人や場に出会っていく。不安、苦しさ、やっぱり私には無理なのかなという辛さ、孤独がある。caféの中では、その感情も起こっていいという。その経験にも寄り添ってくれるという。そういう感情を押し込めがちになるけれど、いつも笑顔でなくていいという。ケンカみたいなことがあっても、仲直りができ、ぶつかっても大丈夫と思える相手。信頼関係ってそういうことなのかなと思う。

 

しんどさ、辛さも成長の種になっている。「成長には痛みが伴う」と言われる。居心地の良さがあり、チャレンジの場でもある。皆と高めあう関係でいたいと思う。