第3集 アジサイ


 

  もくじ 

   『 心の病を受け入れる 』 

   『 受け止めて、前へ進むために 』 

 

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 『 心の病を受け入れる 』

自分が心の病を負うなんて、受け入れたくなかったし、
すごく抵抗があったなあ。
意地・プライド・世間体などが邪魔をしたなあ。
自分自身と向き合わずに、逃げてきたと思う。
たとえば、精神科に行くことを、約1年放置していた。
つながるcaféに行くことも、約半年間放置していた。
受け入れ始めたら、少し気が楽になったよ。
正直、まだ完全に受け入れるには至っていないのが現状だけれど。

みんなはどうやって
心の病を受け入れているのかな?
語ろうよ。


                                          

● 12歳の時に初めて心療内科でうつ状態と言われた。自分の気持ちをなかなか言語化できなくて…。ちょっと元気になってフリースクールに行ったけど、週1日くらい。そんなふうに10代が過ぎた。自傷行為もしていた。学校カウンセラーの人に病院に行くと楽になるよと言われたけど、行けなかった。ずっと辛いまま、死にたくなったことも。精神科の敷居が高くて、行く気持ちになれなかった。20代後半になってようやく受診できた。抗うつ剤を飲んだ。死にたい気持ちがなくなったから、もっと早く受診すれば良かったなと思った。
 
―自分が受け入れる、親が受け入れる
● 兄弟が知的障害だったので、両親は病気や障害について、どうこう言うことはなかった。私は小学校から不登校。プレイセラピーを受けていても、心が晴れる感じはしなかった。人に対して責めるようなことも言ったことがある。今も未熟だけど、今よりももっと未熟な中で、モヤモヤしていて、どこが苦しみかも分からなかった。
 
● 17歳の時に突然幻聴が聞こえ始めて、これはやばいなと思った。保健室でそのことを言ったら、精神科に行こうと。自分は治るのなら、とっとと行きたかったが、親が抵抗した。先生に親を説得してもらって、しばらくたってから、ようやく行けた。行っても、親は病気を認めないという状況がずっと続いた。病院を転々とすることになった。自分が心の病を受け入れる気持ちでいても、周りの環境が受け入れてくれないことがある。説得し続けて、ようやく受け入れてくれた。


―認めると楽? 認めない方が楽?
● ずっと病気を認めてこなかった。ダラダラした状態が楽だなあと思っていて(本当は楽ではないのだけど)、現状から一歩踏み出す勇気、エネルギーが足りなかった。踏み出した方が、ずっと楽になるのに…。自分自身の状態に対して、ずっと無頓着だった。身体はサインを発していたのに。身体や心のサインに、気付いてあげればよかったな。これからは、そうしていきたいと思う。
  
● 心のどこかで分かっているのに、見ないふりをする自分。年単位、何十年単位で見ないふりをする自分。その粘りもすごい。認めると楽になるのに認めない方が楽と思っている自分がいる。
 
● 受け入れて、そっちの方向に行ったら、きっと楽になるなと、チラチラ見えているのに、そっちに行けない。なんでだろう? 人からどう見られているのかという気持ちがある。馴染みのない方向に行くことに勇気が出ない。行っては戻り、行っては戻り…。粘る自分との対話の中で見えてくるものもある。

―何を受け入れるのか
● 受け入れたら楽になるな。もういいや、認めようと思ったけれど、だからといって病気が良くなるわけではない。何を受け入れるか、ということなのかな。意地、プライドを手放して、病気を受け入れたけれど、本当に必要なのは苦しみを受け入れるということなのかな。段階を経て、少しずつ受け入れている。
 
● 20年近く前にクリニックを受診した。薬を貰って休職した。薬をやめられるのではないかという希望があり、まだ病気を受け入れていない部分がある。病気を受け入れて治していけるのか、しっくりこないでいる。
 
―ちょっとの勇気
● このテーマの文章を読んで、「あー、みんな受け入れてなかったんだ」「みんな、もがいているんだ」と安心した。電車で白い杖の人、車椅子の人を見ると、「この人は受け入れたんだな。すごいな。」と思う。心の病は目に見える病じゃないから、何とかなるんじゃないかと思ってしまう。
 
● ちょっと楽になってくると、薬を勝手にやめちゃって、おかしくなっていたことがある。心の病を見て見ぬふりをしていた。ダラダラして、現状維持をしていた。今考えれば、ちょっとの勇気なんだけど、ひとつ乗り越えても、また次に乗り越えることがある。今もちょっとの勇気を出せないでいることがある。このままじゃいけないなと思っている。
 
―理解されない苦しさ
● 私は何十年も身体がだるくて、動くことができず、寝ていることが多かった。お前が悪いんだと常に言われて、私が悪いんだと常に思わされていた。動けないのは、私に根性がないから、やる気がないからと―。そうじゃなくて、私は病気だったんだということを初めて知った。今でも病気を受け入れるまではいってないのだけれど、仕事も少し行けているし、私って病気じゃないんじゃないか、自分は普通の人なんじゃないかと思うことがある。でも、私には私を助けてくれる人達、モノ達がいる。お月様とか架空の友人と対話して、自分の気持ちを落ち着かせている。
 
● この場を借りて自分に聞きたい。私は病気を受け入れたいと思っているけれど、受け入れていないと思っている。なぜ受け入れられないのかな? 頑張ってしまう。医者が、頑張れ頑張れと私に言った。「一種の甘えで仕事ができないんだよ」と医者に言われたので、わからなくなっている。薬が効かないのも辛いところ。
 

 

 

● 私が子供の頃は、うつの理解が進んで
いなかった。朝になると、頭痛や身体が動
かないことを理解してもらえなかった。学
校に行かないなら、フリースクールに行けと。家で勉強しろと。とても疲れてできないのに、理解されない。身体と心が休みたいと言っているのに、周りから焦らされる。自分でも焦る。学校時代から、ゆっくり休んだことがなかったなと思う。子供のときにゆっくり休んで治していたら、こんなに長引くことはなかったのかな。自分が病気なのかもわからず、ずるずる生きづらさが続いていた。周りも受け入れてくれないと辛い。


―心の持ち方のクセ
● 心の病気って、「心の持ち方」という。自分でコントロールできるような感じがまだあるから、受け入れようか迷う。
 
● 自分のいろいろな困ったところ、どうしてそうなのか、ずっとわからなかった。今は、わかった。自分を大切にしなさいとアドバイスされるけど、家族に大切にされてこなかったから、自分を大切にするということがわからない。努力しなさいとインプットされてきた。それ以外のことがわからない。でも、みんなそうなんだなとわかったら、少し楽になった。
 
● 心はコントロールできるものだと思う。それができないのは、その仕方をトレーニングしてこなかったからだと思う。患者は、自分は病気だと認識すること、どんな病気かを正しく知ることが大事だと思う。患者自身が治していこう(心をコントロールしていこう)という強い気持ちを持てば薬もよく効くと思う。
 
● 私はうつ病。うつ病によく効く認知行動療法を受けた。これをやれば再発防止にもなり、いずれ薬もいらなくなると心理士に言われた。コントロールとは、考え方の癖を直すということなのかな。それが生きるということなのかな。

 

 

 

● 私は丹田集中法をやってみている。薬のことを考えなくなった。丹田を意識しているといいのかなあ。 

● 姿勢を治すこと、正すことは、ずっとそれをやろうとすると大変だけれど、気がついたら変えるというだけでいいですよ。
 
―心と脳とのかかわりは?
● 僕の場合、脳の伝達物質が少なくなったり、過多になったり、脳が失調している状態。外の環境を整えていくことと、中の環境を整えていくこと(薬を飲む)の両方が大事とわかってきた。僕は外の環境を整えることをまずやってみた。何が自分にいいか考えた。そうしたら、薬も変わってとても良くなった。100%の力を出せなくてもいいのかなと思う。疲れてくるとしんどくなる。再発する恐れがある。そういうことをどう受け入れるか、日々考えている。
 
● うつ病で脳の伝達物質が足りなくて、薬を飲んでいる。そのことと、考え方の癖を変えることとが、どう関わっているのかがわかりにくい。

● 私のカウンセラーの人は、うつ病を「心のかぜ」と言うとその人のせいのように思われてしまうので、「脳の病気」と言う。
 
● いろんな療法をやってみたという歴史は、いいなあと思った。 

● 自分の関心のあることはやってみようと思っている。その歴史が楽しいから。

● 楽しくて、苦しいね。  


………<感想>………

◆ みなの告白を聞いて、ちょっと安心しました。

◆ どんな声掛けをしてもらっても、自分がそれを受け入れられなかったな…。受け入れて治るのかなという不安があったから。

◆ いろんな考え方があるんだな。いろんな人生の歩みがあるんだな。いろんな意見を聞けてよかったです。

◆ 心の病に限らず、「受け入れること」が難しいな。 
 
◆ 受け入れたら絶望と思っていた。実際は受け入れたらホッとして希望が見えてきた。 

◆ 皆も悩みを抱えて生きてきたんだなとわかって嬉しい。
 
◆ 病気を受け入れられなくて、ほっぽっておいたな。嫌なことを受け入れられたことがあって、病気の苦しみも受け入れていくことができるのかな。

◆ 近視と老眼も受け入れられないでいます。  

◆ バカボンのパパのことが浮かんできます。「これでいいのだ」を嘘でもいいから、言ってみると楽になります。
 
◆ このテーマを出したときは、皆さんは受け入れているのかなと思っていたが、受け入れられずに悩んでいることを知った。 

◆ その時にフィットする何かがある。私はあれもOKこれもOK、これもいいのだと言えたらいいなと思った。 

◆ 皆、それぞれ背負っているものがある。「一人でいること」と「不足でいること」が最悪だとネットにあった。僕はネットの中だけで生きる廃人だった。それに耐えられなくなって、外に出るようになった。皆さんに、いま、ここに居ることの感謝を込めて。

◆ 健康な人も、健康でない人も、自分が楽しく過ごせるように工夫できたらいいなと思う。

 
 第23回つながる語らい場
 2012年9月5日

 

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 『 受け止めて、前へ進むために 』
苦しみが自分の身におこったとき、私たちは問いを発します。
「私は、バチが当たるような悪いことをしたのだろうか?」
「どうして、私の身にこんなことが起きたの?」
受け止きれなくて、理由を探したくなりますね。

善いことをしたからとか、悪いことをしたからとか、
きっとそういう訳じゃない。
新しい発想をしてみようよ。
受け止めて、前へ進むために。

―― 語りましょう。

 

                                          

● このテーマは、私が出した。あるテレビを見ていて、ハッとした。おじいさんが「妻が死んでしまった。何故だ?」と。「自分が何か悪いことをしたのか? いや、自分はそこまでしていないはず。善いことをするのも人間、悪いことをするのも人間。それを感じればいいんだ」と思ったら楽になったと。

● 運命―と思っています。私は登校拒否になった。そうなるべくしてなった。私の人生において休むべきだったんだろうな、と。
 
―弱さを受け入れる強さ
● 自分はものすごく弱くなったなあ、と感じている。以前の自分は反骨精神も含めてもっと強かった。強がっていた自分は過去のもの。弱さを表現することが強さじゃないかな。この弱い自分を受け止めると、先が見えてくるんじゃないかな。

● いま、女性の中で男性が自分一人っていうのは、怖いね―。びびりまくっています。男も怖がりなんだよ。

● それが言える。それは強くなってきたんじゃない?

● そうだね。弱さを隠して強がっていた。そして疲れていた。その疲れを受け入れていなかった。「怖いときは怖がっていいんだよ」と自分に言い聞かせたい。

――時間があるから出来ること
● 私も学校に行かず、勉強をしていないコンプレックスがあった。自分で本や新聞を読んで、それを補ってきた。いま、普通なら仕事や主婦をしている年齢。けれど、こうして時間が沢山あることはラッキーかもしれないと思って、芥川龍之介の本を読んで、わからない字を調べたりしている。無職で時間があるから出来るな、と思います。

――人生の学び?
● 災害や事故のような、たまたま明暗を分けるという出来事を、私達はどう受け止めたらいいのか。自分がその立場だったら?

● 弟がガンになった。ものすごく仕事していたからと思う。物事には理由があると思う。

● 私はカルマと思います。この世に生まれてきて、何らかの苦しい思いをして、人生の学びをするってことなんじゃないかな、と思います。

● 私も学びに賛成します。不幸な出来事は、そこから何を学ぶか、その人に必要だったから起こるんじゃないかな。

● 皆さんの言ったことに賛成だけど、それも命あってのことだなあと。防ぎようのないことに家族が出会ったら、私は簡単には納得できないだろうな―って。学びのために起きた。わかるけれど、私は立ち直れるかな…。

――そのまんま受け入れる
● たくさんの生き物がいる。ぶつかって当然だ。自然の摂理だと思うと、ストンと落ちる。

● 起こったことは変えられないと思う。けれど、それを受け止めるということですよね。時間が必要だな、と感じる。出来事を理解して受け止めるために。何%かの理解で前へ進もうとするとうまくいかない。事実をそのまんま受け入れること。

 

 

………<休憩>………

● 自分は、なぜ病気になったのだろう? 過去を後悔して両親や他人を責める。今までできていたことができない。苦しい時間が人生を占めていて、病気を受け止められない。「ドクターが間違っているんじゃないか?」「ドクターを変えようか」と悩んだ。
その後、自分から良くなりたいと思うようになった。そして自分を客観的に見られるようになった。今日のテーマは、こういうことが出来るようになったんだとわかる第一歩になるかな。

――誰もが前に進んでいる
● 「受け止めて」はいいけれど、前に進まなくたっていい。あらためて前に進もうって思わなくたって、前に進んでいる。死に向かって誰だって進んでいる。意図的にしなくったって、人間は進んでいる。それをさらに「前に進む」ってことは、もっと良くなりたい、変わりたいっていうことじゃないかな?

――受け入れられない過程も大切
● ひどい病気や、やっかいなことが起こると、受け入れられずに原因を考えちゃう。因果関係を考えちゃう。それはそれで途中経過で、ホップステップジャンプの一段目。その過程も大切。

● 以前、病気で動けなかったとき、これは理不尽だと思った。怒りが出てくる。自分が何に対して怒っているのか、自分でわからない。だから周りの人たちにもわからない。そして自分が理解されないことに怒っていた。その経験から、自分はどうして怒っているのかってことの理由を考えるクセがついた。

● そのプロセスの繰り返しを通して、気づきが深まっていく。自分の中の本当の気持ちが分かってくる。

 

 


――人並みになりたくて
● 私は小さい頃から体が弱く、ご飯も食べられず、体が小さかった。大人たちから、平均的な体になるように頑張れ頑張れって言われて育った。自分が人と違って体力がないってことを認めたくない。認められない。病気になっても頑張り続けて来た。「小さい」ということのハンディ。人並みになりたいと思っちゃたり…。
 いま、やっとわかってきた。ここの居場所に出会えた。いまも、かっこつけちゃったりしている。でも、ここでの学びは沢山ある。

――成長は止まらない
● 映画「バットマンビギンズ」のことを話したい。主人公がバットマンになる前の少年の頃、井戸に落っこちた。父が助けに来る。少年は「何で落ちたの?」ときく。父は「這い上がるためだよ」と。
 井戸の中にこうもりが沢山いて、主人公は恐怖を感じた。それで、自分自身が悪党に恐怖を感じさせるもの(こうもり)になって、この街を守ろうと決意する。
 恐怖が自分の味方になる。一回落ちたら這い上がるしかない。這い上がるかそのままでいるかは自分次第。善の方向へと闇から這い上がることは苦痛を伴う。ダークサイドに居続けることも、それはそれで苦痛を伴う。

● ダークサイド……それも前に進んでいるということ。

● 人間ってのは、成長は止まらない。一日一日、前へ進んでいる。無理をすることはない。

● いいですね。この沈黙は・・。考えないときは気持ちがよい。

● 受け止めなきゃいけないなってことが日常茶飯事。「善意で受け止めたい」「前に進みたい」ってことでなく、ただ起きたことを見詰めればいいと思う。そこに湧き上がる感情を見詰めていればいいのかな。本当はどうしたいのか?

● きっとそれぞれが工夫している。「えっ?」って思った時に。


………<感想>………

◆ 日々起こることに自分で取り組み、人にも相談して受け止めていくことをやっている。周りの人達がいなくなったらそれは出来ないなあ。魂となって命が続いていくと考えられたら、死ぬことも周りの人がいなくなることも怖くなくなるのかな?

◆ 僕の場合は「受け止めて」日常生活に溶け込むようにやっていくことかな。

◆ 受け止めなくていいようなことまで拾って苦しくなっちゃうことが多い。その処理に四苦八苦しています。自分は、「人生」を「戦い」のようにみなしているところがある。臨戦態勢の自分。そんな自分が嫌だなって思う時がある。

◆ 人は、前に進むために理由を探す人もいるし、こじつける場合もあるだろうなと思う。

◆ caféで受け止めてもらっているから今こうしていられる。

◆ つながるcaféを受け止めることが課題です。外で起こる出来事に気をとられず、内面で起こる出来事の方に目を向けたいな。

◆ 次は失敗しないように反省しなきゃと思うクセがあった。これからは、真っ直ぐ受け止めるということをやってみたい。

◆ こんな深いテーマを自分のこととして捉えて考えているみんなに勇気をもらった。私は、何か困ったことが起きたとき、もう無理矢理に「これはよかったこと」と思うようにしている。

◆ 人間は善いことも悪いこともするんだから「それでよし」と考えるようにしている。過ぎたるは及ばざるがごとし。全ては過去のこと。自分が高齢になるまで棚上げしてもよいのかな?

   第50回つながる語らい場
      2013年5月24日