第8集 ヒマワリ


                                              
もくじ 
『居場所とは』

『私を大切にすること』 

 

 

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『居場所とは』

 


この世界に、自分の居場所がないと感じた日があったよ。
ここには私が腰をおろせる椅子がある。
「こんにちは」と応答してくれる人がいる。

ふしぎな場所。
苦しさと、安心感と。

否応なく自分と向き合う。
逃げたい気持ちと、行きたい気持ちと。

自分に優しくなってきたな。
自分らしくいられる場所。

居場所って、なんだろう。
自分の立ち位置、感情、言葉、関係性。
つながることの奥深さ。

―語ろうよ。


…・…・…・…・…・…・…・…・…・…・…・…・…・…・

●「自分らしくいられる場所」って何だろう?この社会のどこにも自分らしくいられる場所がないから求めるのかな。
 
●居場所では、自分が無理をせずに自然のままでいられる。居場所がある時は何も思わない。「居場所ないな」という時だけ意識する。
 
●居場所とは築いていくものなのかな。
 
―― つながっている感じ 関係性

 


●文章の中でひかれたのは「関係性」という言葉。
人と「つながっている感じ」のある時は「居場所あるな」って思う。関係性の有無に、自分は左右されています。

●居場所とは、「場所」ではなくて、「関係性」なんじゃないか。そこには自分をさらけ出せる人がいる。情けなさとか。それを相手が受け入れてくれる。自分もまた受け入れる。

●我慢することが少ないとき、そこが居場所なのかなと感じた。

●つぶやきです。居場所って、自分の場合はcaféとバイト先と、家庭。ここは自分の居場所じゃないと思って、もっと良い所を探し続けていても、見つからない。青い鳥みたいに。
 
●つぶやきです。家やcafeを居場所と感じられる人は、関係性の中に心の土台となる安心感があるのかなと思う。皆が楽しそうに盛り上がっているとき、土台があれば寂しくないのだろうけれど、自分には土台がないので、居場所ないなぁと感じる自分がいるのです。家でもcaféでも。
 
●自分にとっての居場所はどうだったかなと考えていました。大学時代の居場所はサークル。頑張っていたな、と思う。高校時代は部活。あのときも頑張っていたな。社会人になって、職場は居場所じゃなかったな。居心地が良かったか、とふりかえると、そうじゃなかったなと思う。
  
●caféに通い始めてからの1、2年の間は、caféは苦しい場所だった。今は安心感に変わった。どうしてなのかは分からない。居場所が自分を変えてくれた、のかな。
 
―― ここにいていい場所
●自分がベストじゃない時でも、ここに来ても大丈夫だとわかる場所。緊張して来たときに、「受け入れられている」と感じると緊張が解けてくる。
 たとえば、ひげボーボーの状態でも来てみる。はじめは居心地の悪さを感じる。やがて、受け入れてもらえる感覚がわかる。
 
●自分が、これまでの人生で安心を感じた場所はどこかなあ、と考えてみたら、人のいない場所ばかりが思い浮かんだ。たとえば、神社の森。人のいないシーンとした空間。そこに行くとホッとしたことを思い出す。私の場合は、苦しいときに自然の場所が助けてくれたと思う。
    
●一人でいるのも大切かな。一人でいる時間に「あ~」と感じることがある。居場所とは違う感覚だけど、野鳥、花。些細だけど、「あ~」とホッとする。発見する。そして元気もらう。
 
●昔は自然の中にいる方が楽だった。親が亡くなり、仕事を辞めた今は、それが辛くなっちゃった。
 

 


●人のいない自然の中で安心を感じられる人は、「ここにいていいんだよ」という肯定感がベースにあるのかなと思う。私の場合は、病気になって孤独を味わってきたためか、人とのつながりの中で「ここにいていいんだよ」と感じ取れた時、そう思えるのかな。
 
●集団の中の孤独もあるね。ある程度顔見知りの人たちの中にいると孤独を感じる。知らない人の中に一人でいるのは大丈夫。顔見知りだと「どうして声掛けてくれないの」「なんでこんなに寂しいの」と感じてしまう。不思議だな。
 
●自分の一番の居場所は家。本来の自分でいられて、話したい時に話せる家族がいる。caféでは我慢する場面もあるけれど、楽しいことがあるから通えている。昨日はバスの中でイラッとすることがあったけれど、caféに来てスタッフと朝ドラの話ができて楽になった。誰かと話せるって大事だな。雑談できる場所は大事だな。
 
―― 受け入れられ、受け入れる
●つぶやきです。居場所は自分を受け入れてくれるホッとする場でもあるけれど、自分を鍛えて成長させてくれる場所でもある。
 
●「受け入れられる」という言葉を聞いて、自分が受け入れられると同時に、自分も人を受け入れる。そのことの大変さもあるな、と思った。
 
●「心地良い沈黙」というものがある。相手と自分の波長が合えば、互いに黙ったままでいても、それは心地良い沈黙になることをcaféで味わったことがあった。これまでは沈黙にならないように「話さなきゃ」っていうプレッシャーを感じていた。
 自分が心地良さを感じれば、そこが居場所になる。
 
●一緒にいるとだんだん波長が合っていくということもあるね。

●うーん、自分は、合わせていくことに頑張りがいるなあ。
 
●合わせようと努力しなくても自然に合っていく。それが居場所なのかな。
 
●波長のことで思ったこと。最初は「話題に合わせなきゃ」と思ったり、相手の態度にイラッとしたりしていた。今「自分は自分」と思うようになったら、波長が合うようになったのかはどうかわからないけれど、相手のことが気にならなくなった。
 
●お茶飲むタイミングや席立つタイミングが同じになると、意識下で同じ波長になっているのかなと感じた。
 
―― 違いを認める
●生き方の違いを認めにくい世の中になってきたように思う。ここに書いてあるように「みんな違ってOK」なのに、排除されてしまう。はじかれてしまう。そんなときは「俺は個性が強いんだ」と思うことにしている。そうやって自己肯定感を高めてやっていこうと思った。以前は、いい人を演じようとしていた。けれど、本当の自分は、中身は普通。泣くし笑うし怒るし、普通なんです。
 
●集団とかグループとか、そういうものをうまく続けていく場合、内側に入るのではなく、境目にいようとするのがいいのかな、と僕は思うんです。線上にいるって思うのがいいのかな。境界線上に立ち続ける。そういうのが集団というものなのかな。
 

 


●内側に入ることは、所属することですね。そうすると、所属しない人を排除することがありますね。

●友達をつくるとき、自分に似た人と友達になりたかった。似た人だと安心できる。違う人とつきあうのは勇気がいる。
 学校時代、ギャルっぽい子と友達になったことがある。その子は見た目は派手だけど、中身は普通だった。バイト先では、見たことのない人種の子がいた。一緒に働くうちに仲良くなった。相変わらず分からないところがいろいろあったけれど、仲良くなれた。
 
●“排除”と“境界線”の言葉が響いた。1対1だと波長を合わせやすい。1対集団だと苦手。皆、中に入りたがる。でも中に入らないと排除されちゃう。みんなが境界線あたりに立っているといいな。

●排除された経験を思い返してみると、自分がすごく傷ついていたことがわかる。けれど、相手に悪意はなかったなと、今は思う。

●コンサートに行くと、会場に集まった人たちは、コンサートが始まる前は赤の他人。ところが、始まると一体になる。それが好きで行き続けている。好きなものが一緒だから一体感を感じられる。この語らい場も同じです。ひとつのテーマをかこんで語りあっている一体感がある。
 
●居場所って「自分がここにいてもいい」と思える所なのかな。


 
    第119回2016年4月26日

 

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『私を大切にすること』


ふりかえると、傷ついた経験がありました。
「○○のせいで…」という思い、
「○○に変わってもらいたい…」という思い、
「しょうがない」という思い、
ぐるぐる回ります。
本当は、私の人生を受け入れて、
新たな道を歩んでいきたいと思っているの。
そのためにできることは、
「私を大切にすること」なのかな。
心の傷には、手当てをしてあげたい。
閉じ込めていた感情は、感じてあげたい。
私の身体は、大事にしてあげたい。
どんな私も、認めてあげたい。
私の中にある本当のステキさを、発見してあげたい。
私が私の、親になる、友になる。
ゆっくりゆっくり、一歩一歩、だね。
―語ろうよ。

…・…・…・…・…・…・…・…・…・…・…・…・…・…・

●どんな私も認めてあげる・・・難しいなあ。でもこの一行がすごくステキで心にひびきました。
 
―― 身体も大切なんだ!
●驚いたのは「私の身体を大切にする」という部分。身体を大切にする、というのは発見。これまで傷つけてきたけれど、大切にするものの中に身体も入っているんだ! 

●頭では分かる。でも大切にしたらその先にあるのは何? 
 どうして大切にするの? 
「私の人生を受け入れて新たな道を歩んでいく」という一文を読んで、もしかしたらそういうことなのかも、と思った。
 
●難しいな・・・。物事を一生懸命にやることは大切なことだけれど、心と身体がバラバラになってしまった。
 
●どうしても心の方に目が行くけれど、身体も大切なんだなあ。心を大切にするとは、自分の感情を大切にするということなのかな。これまでの人生では、他の人を優先して自分をないがしろにしてきた。自分の感情を選ぶことは、勇気がいるなあ。
 

 

―― 封じ込めていた感情
●封じこめていた感情―。以前は、感情を封じこめていることにも気づかなかった。怒りの感情などネガティブなものだけでなく、楽しさの感情にも気づけるといいなあ。
 
●自分の中のどんな感情も認めてあげたい。良いものも悪いものも。でも今は、自分の感情を選択しているので、その感情に責任もたなきゃと思っている。

●さっきの「勇気」にぴんときた。「責任」より選択肢広がるなあ。人に肯定してもらえると勇気もでる。
 
●「閉じ込めていた感情は感じてあげたい」の一文が、心にささりました。

―― 自分を守ってひきこもったら…
●「大切にする」ということ、今ひとつピンとこない。傷つくことから自分を守るためにひきこもることを選んだ。それは自分を大切にすることだった。けれども今、その状態がつらくなっている。自分を大切にするために選んだのに、矛盾した結果になってしまった。今、モヤモヤしている。
 
●人の目線で考えてしまう。“あの人はきっと、こう思ってるだろう”とか。その人に言われた言葉以上のことを想像してしまう。流せればいいのに。自分のことを、自分中心に考えられればいいのに。
 
●残っている気持ちがある。今一つ相手に対して踏み切れなかったことがあって。傷つきたくないということもあった。その時々で自分の気持ちを大切にすればよかったなあ、と思う。異性に出会っていたとしても、自分は結婚できなかっただろうなあ。傷つきたくなくて。
 


―― 思うことは自由なんだよ

●いろんな感情が出てきたとき、一つの気持ちを選んだら、他の気持ちを犠牲にすることもあるし、その代償もある。何かを選択するときには、まずたくさん気持ちを出して、どの気持ちも認めてあげることは大事だよねと思えた。

●気持ちを出そうとすると正解を求めてしまう。「こうあるべき」と考えて、気持ちにも正解を求めちゃう。けれど、どんな気持ちも間違いはなくて、“思うことは自由なんだよ”と思えたらいいのかな。
  
●私も「~すべき」が強いなあ。「どんな私も認めてあげる」という部分を読んで、今の私を「よし」とできない自分がいる。「べき思考」をなくしたい。でも難しい。

●みんな同感です。
 
●「私が私の親になる、友人になる」という部分。自分以外の人から大切にされて育ってきたら、もっと違ったのかな。
 
●楽しかったことより、大変だったことを思い出す方が簡単だな。なぜかなあ。自分のクセ。治すのが大変なクセだなあ。自分が作りあげてきたクセだから、ゆっくり治す必要・・・・あるのかな。
 
●常に自分を見つめ直すことはつらいから、半年一年の単位で自分を見つめ直してみる。変えられる所と、変えることのできない所がある。自分を見つめて自分を知ることが、自分を大切にするっていうことなのかな。
 
●自分の人生だから自分を大切にしていい。でも人の言葉を深読みして人を気にしてしまう。行ったり来たりしている。

●過去を否定しちゃうんじゃないかという怖さがあって、新しいやり方に向えないのかな。
  
●ここにいるということは、自分を大切にしているからなのかもしれない。何年か前に比べたらよくなっているのかも。気づかずに自分を大切にできるようになっているのかも。
 
●例えば、一日に5000歩あるこうと決めていたとき。今日は疲れているから2000歩にしておこうと思って、“2000歩あるけた!”と思えれば自分を大切にしているんだけれど。もっとがんばって6000歩、7000歩をやるんだと思って生きてきた。
 
●閉じ込めていた感情はほとんどネガティブなものなんだろうな。それを感じられれば・・・。

●考え方のクセを、肯定的にとらえられたらいいな。
  
●どうやって変えていけるんだろう。自己肯定感どうもてるか?
  
●小さな喜び、小さな達成感を、人とのまじわりの中で積み重ねていくと変わっていく。

●ラジオで聞いた。一緒にいるとポジティブになれる人と共にいるといいと。自分はこういう場で自分が思っていることを語って肯定してもらえたとき、これでいいと思えるようになった。

●ゆっくり一歩一歩。ささいなことでもやっていけるといいなあ。
 
●私を過度に大切にすると動けなくなるから、バランスが大事かなあ。
 
●私を大切にすることの理由が、最初はホントにわからなかったけど、今はわかるようになった。ネガティブな感情を閉じ込めていた。今、それを感じて認めてみたらいいのかな。


    第120回2016年5月11日